
先日フランスのメディシス賞外国小説部門にノミネートされたハンチバッグ。
ハンチバッグ=せむしの英訳らしく、先天性ミオパチーという難病を持っている著者の市川さんの身体事情から物語の発想を得ている様子が強いイメージ。
人口呼吸器と身体障害を持っている主人公釈華(しゃか)のとても興味深い一文があった。
「ミスプリントされた設計図しか参照できない私はどうやったらあの子たちみたいになれる? あの子たちのレベルでいい。子供ができて、堕ろして、別れて、くっついて、できて、産んで、別れて、くっついて、産んで。そういう人生の真似事でいい。私はあの子たちの背中に追いつきたかった。産むことはできずとも堕すところまでは追いつきたかった」
社会的に未だタブー感が強い堕胎を取り上げて、あなたたちが忌み嫌っているその現象さえも私にはできる見込みがない。妊娠すらできないと思われる自分なのに、だったらいっそ堕胎ぐらいはしたかったという矛盾。
「健常者ができる当たり前」のことに障害者は手が届かない、タブーとされている事象さえも羨ましい。
先日紹介したドラマ、セックスエデュケーションの車いすユーザーのセリフにもこうあった。
「障害は個人にあるのでなく、あるとしたら社会にある。」
ずっと修理がされない学校のエレベーター=車いすユーザーには致命的な移動手段を奪われているようなシーンで文句を言った際の一文だったけど、本当にそうだなと感じるのです。
このハンチバックも、かなり過激な性表現のシーンなどもあるけど、タブーを扱うことで表現される「社会の気づき」はとても大事だなと思う。
短いし、内容がギュッと詰まっているのでぜひ読んでほしい。