
最近みた「軽い男じゃないのよ」男女の役割が逆転する映画をみて、たまたまその後
「話を聞かない男、地図が読めない女」も読んだので
とても関連してるなと思い書いてみる。
というかほぼ雑談だけど。
映画の記事はこちら
「男の脳は空間能力の中心がはっきりしているので、空間能力を活用する作業が得意だし、仕事やスポーツもその手のものを好む。女の空間能力が優秀でないのは、動物を追いかけたり。遠く離れた場所から家に帰りついたりすることが、本来の職務になかったからだ。」
「女の役割も明確で、周辺に危険はないか確認し、相手の行動や外見の微妙な変化に敏感になった。子供の世話をしたり、同じ群れの女たちと一緒に過ごしたりして1日を送った。」
引用:話を聞かない男、地図が読めない女
めっちゃ端的に言えば
男性:空間把握能力、論理的に把握する能力高い
地図が立体的に頭で考えられる、話が端的になりがち、複数のタスクよりシングルタスク
狩りの影響で獲物までの距離が測ることが得意、静かにしないと獲物に逃げられるので話す技術よりその場のサインを読む能力に長ける
女性:コミュニケーション能力、複数タスクをこなす能力
相手の表情を読む、話を聞く、喋る
狩りではなく、「男性が家にいない間の家庭を営む能力」の高さで測られたので、隣近所と上手くやるとか、子供の面倒見るとか、料理洗濯など複数タスクを同時にこなす力が優位
なるほどー。男女の差異も昔の生活スタイルからの踏襲と考えると納得はする。
現代は、女性はおしゃべり好きで、男性に同じ話してても「さっき言ったじゃん」ってなっちゃうとか、パイロットとかエンジニアには男性が多いのは空間把握能力が優れてるからとか、翻訳家とか教育現場には女性が多いとか言われてみれば確かに。
ってなることが多かったなあ。
この映画「軽い男じゃないのよ」も結局男性優位の社会を若干風刺する内容な訳だけど、この女性が車を好むようになって、名声が大事だ!って言い張る社会がくることを今は考えづらいなと思う。
単純に脳みそがそういう仕組みでないからと言われると確かにね、と。。。
でもどうなんだろう進化の過程で、脳みその作りも変わったりするんじゃないの?
人間が二足歩行になったわけだしねー。
一番思ったのは、
男=狩りする、女=家庭を守るっていう太古の習慣が基礎にあって、それは差別じゃなくて男女の能力で役割を当てはめてやってきた。だけど、文明開花とか現代のIT技術とかで男性と女性の垣根が『物』で補えるようになった今、明確な差をそこまで感じないのにまだその役割に当てはめることに固執するのか?
っていうことが、今の悩みな気がする。
どこまでが『物』で補えて、どこまでが『元々の能力によって当てはめた役割』なのか線引きが上手にできない。
明確な区分もないから、そこを探してる最中なのか?
あとゲイの人がフェミニン寄りになりやすいのも、女性的な脳の分野が発達しやすいからだと。
なるほどー。
個人的には、この前スポーツ見てて
女性のプロサッカー、プロバスケはすごく男性的な女性が多いのが見られるけど、バレーボールとかにはあんまり男性的な女性は見ないなと。
プロバレーボールの男子選手も、どっちかというと線が細くて中性的なイメージ。でもラグビーとかはすごくマスキュリンな感じだし。
多分『フィジカルコンタクトが激しいスポーツ=男性的になりやすい』
だとは思うんだけど、なんで身体接触が増えると男性的になりやすいんだろう。
要するに・・・
ジェンダー・セクシャリティに関してフラットでいたい意識はあるものの
男女逆転のフレンチブラックコメディ「軽い男じゃないのよ」を観た
ケタケタ笑ってしまい、
『男性的』『女性的』の概念が自分の中でめっちゃあることに気づく
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たまたま「話を聞かない男、地図が読めない女」の本を見つけてKindleで読む
「女性の特徴は〜・・・・(話がとっ散らかる云々)」
はいこれ自分です。あこれも思ったことあります。全く同じこと言ったことあります。
ええ、これもある・・・
自分ってめっちゃ女性的じゃん。と言うか典型的な女性じゃん。
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でも「女性」「男性」とかいちいちそんな考える必要ある?
切り分ける必要あるのか?
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でも普通に「女性の脳みそ」とか「男性の脳みそ」とか、身体的な違いは絶対あるわけだし、普通に考え方が違う生き物って考えると
イラっとしても「でも私の考えは女性的なだけで、この人は男性的なだけだな」とか思えば
そんなに腹たつ事象にもならないのでは?
確かに本で書いてあったように、自分と反対の性別の人の心理的クセとかは知っておいた方が人間関係に役立つのでは?
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結論
『考えすぎてワカリマセン』イマココ
珍しく硬いこと書いてしまったけど、
いい学びを得れた本と映画でした。