私の感情に名をつけるとしたら、寂しさと悲しさをラベリングするとしたら私はこの一文を使うと思う。
ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。
その感情はあまりに完全、あまりにエゴイスティックで、恥じたくなるほどだが、悲しみというのは、わたしには敬うべきものに思われるからだ。
A strange melancholy pervades me to which I hesitate to give the grave and beautiful name of sorrow. The idea of sorrow has always appealed to me, but now I am almost ashamed of its complete egoism. I have known boredom, regret, and occasionally remorse, but never sorrow.
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悲しみよこんにちわの有名な一説。
寂しい感情を取り扱うのは難しい。
時には誰かに投げたくなって、自分の中で処理できない時もある。
誰かに聞いてもらいたくなって、助けが欲しい時もある。
でも同時に、それらの感情はちょっとどこかで美しい感情でもあるのかもしれない。
サガンが言っているように、重々しくもどこか美しいものであるのかもしれない。
一方で、ただ寂しいを誰かに投げるのは違う。
自分は「今、寂しく、悲しく感じている」
自分は今「なぜ寂しくて、悲しくて、他人にどうして欲しいのか理解できている」
状態はとっても崇高な状態だ。
だからそんな時、誰かを頼るのもいい。
でも、それを上手くできない時は、自分の意識で自分の感情を把握して
他にきをそらす。
ゲームをしたり、映画をみたり、本を読んだり。
誰かの言葉で自分の感情を癒すのはとっても有効な手段だ。
その言葉を使って、ラベリングするのもとってもいい。
この重々しくも美しい感情を取り扱うには常にスキルが要る。
自分の感情を把握する力と、言語化する力、誰かを時には頼る力、自分でうまく処理する力。
精神的な成熟度が常に試される。
そんな感情の取り扱い方を今の自分は勉強中。